チャンスを腐らせる人、キャッチする人

チャンスとは、一体なんなのか。

「大人からバレエを始めた人が、ロイヤル・バレエ団に入れるチャンス」コレは、限りなく「0」に近い。

地球にいる以上「0」とは言わないが、技術云々以前に年齢やキャリアなど、現実的に言えば、踊り以外の要素で引っかかってくるだろう。

では、これならどうか。

「ピルエットを1回、あるいは、2回回るチャンス」

あるいは

「発表会でバリエーションを踊るチャンス」

これなら、現実にあるチャンスだ。

もちろん「大人からバレエを始めた人が、今より上達するチャンス」なんて、ゴロゴロある。

ただ、「上達」という定義がなんなのかによって、上達したと思えるか、他人から見たら、別人のように上達していても何も感じないかの差は出てくるだろう。

その辺りは、「感性」というべき要素も影響する。

上達しているのに、していないと感じるのを「自分に厳しい、謙虚」と受け止める人も多いと思うが、本当にそうだろうか。

事実を捻じ曲げ、できていることを受け入れられない。

バレエを習っている人に多い傾向である。

「脳」というのは、「報酬」が大好きだ。

「上手になった!すごいすごい!」と思ってあげたら、「よし!もう一度できるようにしよう♪」とルンルンになる。

一方で、「まだまだ、こんなものでできたとは言えない。まだまだ上を見続けなければ」と向上心を勘違いしてしまうと、脳は拗ねて、スルーしてしまう。

上達するチャンスを掴むのか、逃すのか。その一つの例である。

大事な情報を手にしているか

これだけ情報過多の時代である。

大人のバレエに関しても、情報が溢れている。

ただ、あなたにとって必要な情報というのは、あなた自身が見極めて、実際にキャッチしなければ手に入らない。

そして、自分が必要だと思っている情報と、成長のために本当に必要な情報が、一致しないことも多々あることを知っておこう。

さて。

葡萄というチャンスは、あなたにも訪れている。

それも、葡萄はゴロゴロとあなたの足元に落ちて、そして「腐って」しまっている。

葡萄は、あなたの上から落ちてくる。

ある人は、いつ葡萄が落ちてきてもキャッチできるように、常に手を広げている。

ある人は、「手を広げていたって、葡萄が落ちてくるかわからないし、そんなことしたら疲れるから損だ」と思って、落ちてきたら手を広げようと思っている。

後者は、いざ葡萄が落ちてきた時に手を広げても間に合わない。

葡萄というチャンスは、あなたの上からどんどん落ちてくる。

大きいものもあれば、小さいものもある。

だが、それをキャッチできるかできないかで、そもそも葡萄が落ちてきたのか、落ちてこないかと同様以上の結果をもたらすのだ。

ちなみに後者の発想、損得勘定は「努力できるか否か」と関連する。

脳的には「あるある」な話なので、そこを理解しておくと、大人の場合、上達に繋がりやすい。

この話は機会があればまた今度。

葡萄の話に戻そう。

JBPでは、ワークショップだけでなく、インスタやXなどで情報発信をしている。

これらは、主に不特定多数に向けてであるが、LINE VOOMでは、主に参加者向けのワークショップの感想、おさらい、そして、次のステップへの課題を読みものとして提供したり、内容に関連した動画の紹介や解説などを行なっている。

毎回ではないが、必要な時は、必ず出すようにしている。

ただ、その「情報=葡萄」を手にするかどうかは、本人次第だ。

定期的にチェックして、課題を知った上で、次の臨むのか。

全く知ることすらなく、次に臨むのか。

その時点で、もう差はついているのだ。

葡萄は、確かに落ちてくる。

滅多にないことではない。

小さい葡萄なんて、1日に何回落ちてるのか?と思うほど落ちている。

その葡萄を手に入れたいなら、どうしたらいい?

あなたは答えられるだろうか。

そう、手を広げておくことだ。

葡萄に気付いてから手を広げても、もう遅い。

落ちた葡萄は、あなたの足元で腐っていく。

モノは、加速しながら落ちてくるのだから。

あなたは、どうする?

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