このエッセイに書かれていることは、今現在、筆者が個人的に思っていることであることを、予めご了承いただきたい。
個性とは、何なのか。
癖と個性を混同していることが多いように感じるが、こと、バレエにおいては全く別物であることは、もっと、周知されるべき事実のように思う。
間違った悪い癖=個性
そんなことは、あり得ない。
”凡人が天才を殺す”
そんな言葉を耳にしたことがあるが、癖と個性を同一に考えることは、正しく、その言葉に準ずることのように思えてならない。
個性とは、個人や個体の持つ特有の性質や特徴のことを指す。
癖は、そこには該当しない。
無意識とは言えど、自分が作った産物である。
JBPでは、大人のためのバレエプログラム、ワークショップを開催している。
段々と「正しい動かし方」がわかってくると、”その人らしさ” が現れることがある。
その人が持っている雰囲気や空気感である。
「ただ、癖がある」から「その人の個性=性質や特徴」が、顔を出す瞬間である。
私たちは、「正しい動かし方」を伝えている。
●●メソッドや●●スタイルといった、系統だったもので「1から10まで」構成し得ているのではない。
それらは、”コモンセンス”として伝えているのであって、最重要は「正しい動かし方」だ。
「正しい動かし方でバレエを踊れるのであれば、あとは好みでどれを選んでも良い」
それが、筆者のスタンスである。
メソッドやスタイルは「外観」に過ぎない。
これらを「建築物の土台」に例えて「基礎」と言っていることがよくあるが、メソッドやスタイルというのは、むしろ、壁紙だったりの”内装”のことであって、土台や基礎というのは「正しい動かし方」にある。
指導法も外観に過ぎない。
指導法に頼りすぎる教師は、このことに気づいていないように思える。
だからこそ「取りこぼす生徒」が出現する。
国立以外で指導しているのならば、このことに早く気づかないと、犠牲者を出すことになる。
指導法という「マニュアル」に頼ることは簡単だし、楽だ。
用心深く考えずに済む。
うまく行かなかったら、指導法やメソッドのせい、それに当てはまらなかった生徒のせい。
そうして、いつしか問題を直視しなくなってくる。
メソッドやスタイルは、外観を統一する。
そのためのものだ。
個性が出るはずがない、出るならば何かおかしい。
メソッドやスタイルでいう、個人の「個性」とは、身体的特徴である。
人より甲が高い、人より柔軟性が高い、人よりジャンプや回転力がある。
もしくは、容姿。
メソッドやスタイルで個性を出すならば、生まれ持った身体的資質によるものが大きい。
「正しい動かし方」は、土台である。
基礎だ。
正しい動かし方で、全員が同じ動きをしているとする。
とはいえ、体型や思考、これまでのバックグラウンドは、一人一人異なる。
だからこそ、正しい動かし方をすると、その人特有の性質や特徴が表面化してくる。
これが「個性」である。
外観は、自分の好みで選んで良い。
白い壁紙にするのも良し、赤い壁紙にするのも良し、青い壁紙にするのも良し。
もちろん、その方法もお伝えしている。
好みの壁紙があったならば、それに向かって「正しい動かし方」を身につける、モチベーションにもして欲しいからだ。
正しい動かし方がもたらす個性。
それが、唯一のものとするのである。