おニャーさんが感じたことを綴るエッセイ。
ご近所のおニャーさんとの井戸端会議のつもりでお読みください♪
5月末に“苦手克服シリーズ“ということで、ピルエットアンディオールを取り上げました。
テーマは、苦手から“まぁまぁへ“
この記事をお読みの方には、「なぜ、苦手から好き・得意ではないんだ?」と思うかもしれません。
それは、そうですよね。
世の中「苦手なものが大好きになります!嫌いなものが得意になります!楽して●●になれます!」なんて広告に溢れているわけですから。
私はですね、回転だけは他の動きとは違うと思っているのです。
それは、(イギリスの大学だったと思いますが)研究結果で示されていることなんです。
回転というのは、目が回ります。フラフラします。
脳の中には、そうした状況を「危険」と察知する箇所があるそうなのです。
バレエに限らず、回転を「怖い!危険!」と察知しない場合というのは、どうやらここの機能が抑制されているようなんです。
これって、いいんだか悪いんだかって感じがしませんか?
この説で考えると、回転をぐるぐるしても怖くも何ともないというのは、決して、体の機能が進化しているわけではないんですよ。
バレエでもスポーツでも、こうした側面があります。
進化しているのではなく、「退化しているからこそできてしまうこと」これがいいと言えるのか。
私には、未だ答えが出ていません。
さて、そうしたこともあって、回転は他の動きとは違うと思っているのです。
子供の頃から回転慣れしたダンサーや教師と、大人になってからはじめた人では、“努力、練習量“では片付けてはならない違いがあると思っています。
ちなみに私の経験でいうと、バレエ自体を大人からはじめた場合でも、学生時代に回転を多く伴うような競技などを経験していると、やはりここには抵抗がないことが多いように感じます。
20年近く前、「学生時代、体操部だった」という、大人からバレエをはじめた方がいらっしゃいました。
その方、毎回のレッスンで“最低でも4回転、5回転“、調子がいい時は6回転も回っていました。
そういう方もいらっしゃるのです。
こうしたこともあって、個人的に「回りものが怖い」というのを、マイナスには受け取っていません。
「人間としての、大事な防御機能をちゃんと持っているんだな」と思います。
けれども、バレエレッスンには回りものが出てきます。
いつまでも怖いと、憂鬱になってしまいます。
そうしたこともあって「難しいことより、慣れてみよう!」という企画を発案したわけです。
ピルエットというのは特に、こうした「体の危機管理」というものが絡んでいます。
ですから、一度「嫌い、怖い、苦手」になると、そうそう簡単に「好き、全然怖くない、得意」にはなりません。
これが正直なところですし、年を重ねることを考えたら、ここがあまりにも緩んでしまうのも、ちょっとどうなんだと思います。
だって、そうでしょう?
危ない時に「危ない!」って、頭と体が合図してくれたら、とっさに体が反応して、大事に至らずに済むかもしれない。
「危ないのに、危ないと察知しなかったら」どうなるでしょう?
あなたなら、検討がつくかと思います。
そうしたこともあって、“まぁまぁ“になれば十分だと思っています。
レッスンでピルエットが出題されても、気持ちの負担にならないくらい。
最も、本当にここまでくれば、練習することも苦になりませんから、もしかしたら「ちょっと好きかも」になっていくかもしれません。
「慣れ」というのは、良くも悪くも、大きな力を発揮するものです。
何事も習っているうちは、自分が好きか嫌いか、得意か不得意かで判断しがちです。
自分を中心に、感情で判断しまうのです。
これ、ほとんどの人がこうです。
だから、他人から見える姿と、自分で思っている姿が一致しないのです。
「客観視」というのは、自分中心では見えてきません。
相手の立場に立たないと。
つまり、思いやりを持つだけの「想像力」がないと、客観視することはできないのです。
ちょっと極端な言い方かもしれませんが、みている人からは、踊っている人が“ピルエットが得意か苦手か、好きか嫌いか“なんて、はっきり言って関係ないんです。
大嫌いでも、苦手でも、できていればいい。
好きでも嫌いでも「できている」という事実が大事なんです。
ピルエットだって、バレエにおいては「全体の動きを構成する1つのステップ」に過ぎません。
文章を構成する1つの単語として、役割を果たしていれば、それでいいのです。
ここがスポーツとは違うところで、回転数に応じて得点が増えるわけではないのです。
それよりも、きちんと美しい「文章」に仕上げることの方がずっと大事です。
最後に、若かりしころ師匠に教えていただいたことを話そうと思います。
解説はしませんので、この意味を考えていただけたら幸いです。
よく、舞台前に生徒に「いつも通りやればいいのよ、緊張しなくていいのよ」と言っている教師がいる。
生徒はそうでもないんだよ、緊張していつも通りじゃないのは先生なんだよ。
自分を落ち着かせようとして、そうやって発する言葉で、その緊張が生徒にうつってしまうんだ。
大事なのはね、生徒も教師も緊張しないことじゃない。
緊張はした方がいいんだ。
本番なのに、全くいつも通りではいいものは作れない。
大事なのは、緊張しても、いつも通りじゃなくても「できること」だよ。
そこを計算して練習するってことだ。
緊張したからできなかった、これは練習の仕方が間違っているか、何かが足りないってこと。
それが大事だ。そういうことができる指導者になりなさい。
この話を覚えておいて、舞台袖で観察してみるんだよ。
お読みいただき、ありがとうございました♪