”主観”とは
時として、事実をねじ曲げてしまうことを
知っておかねばならない。
序論:主観が多いという特徴
子供のクラスでは、ほとんど見かけないが、大人バレエのクラスで多発し易い事がある。
もちろん、全ての人に当てはまるわけではないが、該当しない人の方が少ないだろう。
教師からの指示・サジェスチョン等、そのまま受け取っているつもりでも、受け手の”主観”が入ると、目的から大幅に外れたことをやりだしてしまう。
この記事を読み終える頃、あなたは”レッスンで主観を排除することの大切さ”を実感するに違いない。
もし、実感できなかったならば…そもそも、この記事の内容を、あなたの主観に基づいて、解釈してしまっている可能性があるだろう。
そうではないと、私は願っている。
本稿では、大人バレエに多発する、解釈の取り違いについて述べる。
本論:知って欲しい解釈の取り違い|上達を妨げる原因
本論1:例題1
立ってみよう。
もしくは、立ったところを想像して欲しい。
「片膝を曲げて、腿を胸に近づけなさい」と指示が出た時、あなたならどのように動くだろうか。
▶︎片膝を曲げて
▶︎腿を
▶︎胸に近づける。
これを順にやってみて欲しい。
すると、図のようになる。
図や言葉で見ると、当たり前のように感じるかも知れないが、大人バレエに多いのは、次に述べる方である。
▶︎片膝を曲げて→片膝を曲げて(○)
▶︎腿を→胸を(×)
▶︎胸に近づける。→腿に近づける(×)
お分かりだろうか。
▶︎腿「を」、胸「に」近づける ではなく
▶︎胸「を」、腿「に」近づける になってしまっている。
本論2:例題2
次は、グランバットマン アラセゴンを例にとってみよう。
バーに着き、第5ポジション。
腕は、第2ポジション(セゴン)。
「腕より高く脚を上げなさい」と指示が出たとしよう。
▶︎腕より高く
▶︎脚を
▶︎上げる
正しく意味を捉える事が出来ていたならば、体現が出来たならば、”腕の高さを変えずに、腕より高く脚を上げる”となる。
もしくは、”腕の高さを変えずに、腕より高く脚を上げようとする”
悪い例。
▶︎腕より高く→脚より低く(×)
▶︎脚を→腕を(×)
▶︎上げる→下げる(×)
これは、よく見かけるのではないだろうか。
▶︎「腕」より「高く」「脚」を「上げる」 ではなく
▶︎「脚」より「低く」「腕」を「下げる」 になっている。
本論3:補足
例題2の補足をしたい。
実際に、指示通り「腕より高く」脚が上がれば良いが、高く上げられない場合である。
こうしたケースは、
・全く無意識で行なっている
・脚が上がらないから、腕を下げる事でカモフラージュしてしまう
・カモフラージュしているうちに無意識となり、習慣化されてしまう
このように分けることが出来る。
もちろん、実際に腕よりも脚を高く上げられる事は、指示が出た以上、重要案件となる。
とはいえ、上がらないからといって、腕を動かしてしまっては、そもそもの”基準や前提”が狂う事となり、”話が違う”となってしまう。
「だって、腕の位置を変えないと、腕より高く脚を上げるにならないんだから、しょうがないじゃないか」
「上がる人はいいけれど、上がらない人は、どうしたらいいのよ!」
と反論が噴出するかも知れない。
気持ちは分からなくもないが、ここに関しては、はっきり言ってやるしかない。
腕は、第2ポジションという指定があり、高さの指定があり、ならば、上がらなかったとしても、上げるようにするしかない。
少なくとも、実際に高さが満たされなかったとしても、上げようとしなければならないし、教師視点でいうならば、上げようとする行為そのものが目的である事も多い。
結論:文章構成=動きの正確性
こうして動きを言葉に起こしてみると、文章構成自体が変わってしまっていることに、お気づきかと思う。
図や言葉にすると、ありえないと思うかも知れないが、大人バレエでは多発しているという事を、少しでも知って頂きたい。
大人はこれまでの人生で培ってきた知恵がある。
良くも悪くも。
その分、頭で整理して取り組む事ができる。
故に、こうした事が起こり易い。
”主観”というのは、誰にでもある。
それを前提に、言葉をそのまま受け取ってみる事も必要かも知れない。
もちろん、バレエの指導言語は「言葉と裏腹」的なものも多く存在し、見分ける事が難しいのは承知している。
どちらなのか、常に、アンテナを張り巡らせておく必要はあるだろう。
その為には、こうした解釈の取り違いがあるという事実を ”知る”、これが大切だ。