レッスンとは「実験」である。
どうやって動いたら、上手くいくのか、いかないのか。やってみないとわからない。
当然、ミスというのはつきもので、ミスをしなかったら上手くなることはない。忘れがちだが、ミスを経験しなければ上手くなることはないのだ。
言い方を変えるなら、上手な人ほど、レッスンでミスをした回数は多いはずだ。
さて、本題に入ろう。
こういう話をすると単純に「ミスは、多ければ多いほどいい」と捉えがちだが、物事、そんな単純な話ではない。
身になるミスと全く身にならないミス(時として、癖という害になることさえある)があるからだ。
以前、似たような話をワークショップでしたのだが、ここでもう一度、お話ししてみたいと思う。
例えば、「片足になるとグラグラする、形が崩れてしまう」というミスがあるとしよう。センターアダジオでの「ディベロッペ」で想定してみるといい。
これに「足部アーチ」を関連付けて、4つのパターンで考えてみる。
- 足部アーチが保たれている+形が取れる →ミスなし・できる
- 足部アーチが保たれている+形が取れない →ミス・できない
- 足部アーチが崩れる+形が取れない →ミスをする・できない
- 足部アーチが崩れる+形が取れる →ミスなし・できる
「1」は、問題ない。
「2」も問題ない。“足部アーチができているのに…”とがっかりするかもしれないが、それは違う。これは、次への糧になるから、良い失敗だし、素晴らしい失敗だ。つまり【正しいミスり方】なのだ。
次に、足部アーチが保たれていない・崩れてしまっているケースに移るが、「3」これは、やってない(できてない)のだから、結果崩れててできないのは、当たり前の話。
最大の問題は「4」になる。一見するとできて見える。それは本人だけでなく、教師さえ騙されてしまうほどである。だが、これは明らかに【誤った失敗(ミス)】である。
この手の【誤った失敗】というのは、実は、成功への糧にならない失敗だ。闇雲に何度も何度も繰り返すことで、いつしか癖になり、正しいことをやるどころか、癖を取るのに、膨大な時間と労力を使わなくてはならなくなる。
だから昔の先生(失礼!)は、人によっては、自習をしてはならない(必ず、指導者がいるところで練習する)とか、ポジションやプレパレーション、膝を伸ばすことや姿勢、開くことなど、生徒が嫌がるようなことや飽きるようなことでも、懲りずに言い続けて来たのだ。
現役の美しい姿を見せてくれる先生の指導にも価値があるが、気難しそうで体がヨボヨボでも、その道を歩み続けてきた教師は、例え、痛いところをつかれても、例え、傷つくことを言われても、例え、教え方が上手くなくても、習う価値がある。
話を戻そう。
よく、名言だったり、人生の教訓的なもので、「失敗ウエルカム!失敗した分だけ上手になる!次へのステップになる」といった、お花畑名言を目にする。
確かに間違っていない。いや、あっている。ただし、条件付きだ。
それは、正しいミスり方や正しい間違い方をしている場合で、誤った間違い方をしていたら、上手になるわけがない。
そして、もっと踏み込んで言えば「誤った間違い方を恐れて、間違えないように、ミスらないように」動くことほど、誤った動きになる。
正しいミスり方とは、なんなのか。それを知るのがレッスンだ。
わからないようなら、JBPバレエワークショップへ(笑)
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