今日は、あなたとお茶会をしよう。
こんなときでも、こうして話をすることができる。
コーヒーや紅茶の準備はできただろうか?
もしくは、頭の中でカップを用意して、お茶を注ごう!
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バレエレッスンに限ったことではないけれど、「上達する人・上手になる人・成長する人の練習の仕方」というのは、そうでない人と比べると大きな違いがある。
本来は、教えられることではないように思う。
けれども、それでは話が終わってしまうし、もう少し、工夫の余地があるように思う。
バレエの最上級は「美しい」だ。
「正しい」は、美しいを実現するための1つのアイテムに過ぎない。
従って、「正しい」がバレエの最上級ではない。
さらにいうならば、「正しい」だけで終わっているバレエは、決して「最上級の美しさ」を持っているわけではない。
個人的には「基本に忠実な踊り方」というのは、ある一定のレベルまでは褒め言葉かもしれないけれど、それ以上のレベルまで上がっているダンサーにとっては、決して褒め言葉ではないように思う。
「正しいで終わってますよ」という意味でもあるからだ。
いわゆる「スター」と呼ばれるダンサーは、決して「基本に忠実な正しいバレエ」で終わっていない。
その先にあるものを見せてくれる。
バレエレッスンで気になることがある。
教師の提案をできるようにする、正しいバレエをする。
大いに結構だ。
まず、そこからはじまる。
けれど、それがなんのためなのか忘れていないだろうか。
「正しく踊るためのレッスン」で終わっていないだろうか。
鏡を見て、自分かいかに美しく見えるかの研究を怠っていないだろうか。
言われたことをやるだけのパッシブなレッスンでは、言われたことさえ、ままならない。
言われたことをクリアしようとする+自分がいかにキレイに見えるか、ここまでセットだ。
これをレッスン内でやろうと思ったら、どんなレッスンであろうと、ぼーっとしている暇は一切ないし、いくら時間があっても足りないってものだ。
待っている間、音楽がかかっている間。
一体、何をしているのだろうか。
私には、暇などない。
研究することが山ほどあるし、できることならば、その場で自分から提示したいからだ。
自分で、「今日できる最大はこれです!」と提示しなければ、誰も振り返ってはくれない。
誰かに、声をかけられるのを待っているなんて、パッシブレッスンの極みだ。
「●●してくれない」ではなく、振り返らせる。
それには、それ相応の準備が必要なのだ。
今日は、このくらいにしておこう。
話を聞いてくれて、どうも、ありがとう!