大人にとっての”正しいバレエ”とは、何でしょう?
単純に”正しいバレエ”とか”正しくバレエをする”といった言葉は、耳にすると思います。
では、”大人にとって”を省いて、”正しいバレエ”で考えたとき、何が、どうしたら”正しい”になると思いますか。
それは、「バレエという形式や様式の範囲内であること」あるいは「バレエとして判断できること」です。
そこから先は、正しいを判断する人によって、若干の違いが出てきます。
それが、メソッドやスタイルの違いであり、教師それぞれの考えになるのです。
あなたが、タンジュ をしたとしましょう。
とあるメソッドでは、Aという方法でタンジュをすることが正解で、Bという方法は間違っています。
異なるスタイルでは、Bという方法でタンジュをすることが正解で、Aという方法は間違っています。
これが、”若干の違い”です。
タンジュであることが認められる範囲内であれば、正しいの定義は判断する人によって変わります。
さて、大人にとっての正しいバレエに話を戻しましょう。
バレエメソッドというのは、子供に対して、段階を踏んで習得できるように構成されています。
ここを、勘違いしてはなりません。
全ての人に、対応している訳ではないのです。
私たち大人には、必ずしも”適切”ではないことが数多く存在します。
3時間で作れる料理があるとしましょう。
しかし、あなたはその料理を、たった1時間で作らなければなりません。
同じ手順で料理をしていたら、1時間後、どうなっているでしょう?
身長180センチのファッションモデルが、素敵なスカートを履いていました。
あなたの身長は、150センチだとしましょう。
全く同じスカートをあなたが履いたら、どうなるでしょう?
3時間で作る料理と同じ手順で作っていたら、
手順は同じだけど、料理は出来上がらないでしょう。
180センチの人と同じサイズのスカートを履いたら、
スカートは同じだけど、見え方は全く違うものになっているでしょう。
だから
・1時間で同じ料理を作りたいから、時短で作る方法をとる。
・同じように見えたいから、同じデザインのスカートでサイズを変える。
といった工夫を、無意識に行っているはずです。
方法やツールを変更し、「目的」は変えない。
バレエに変換してみましょう。
あなたは「グランバットマンで脚を上げたい」。
子供と同じ指導法でグランバットマンを練習する
↓
しかし、見た目はグランバットマンとして認められないものになってしまっている。
例
・脚の高さが低すぎる。
・脚が内側に向いている
・腰が丸まったり、反ってしまっている、など。
これは、方法は子供と同じですが、グランバットマンで脚を上げるという「目的」を見失ってしまっています。
大人にとっての正しいバレエ、とはこうです。
グランバットマンで、脚を上げる。
↓
それを達成できるために、大人に合う適切な方法をとる。
↓
グランバットマンとして、認められるフォームができる。
ここを、勘違いしないこと。
勘違いすると、バレエは上達しません。
頑張っているのに、上達しないと、楽しくなくなってしまうことでしょう。
バレエ歴がだんだん長くなってくると「目的のすり替え」をしがちです。
「グランバットマンとして認められるようなフォームではないかもしれないけれど、 私は◯◯を頑張っているし、他の人よりできていると思う」
これでは、バレエとしての形式を満たすことができません。
さらに、教師にも伝わりません。
特に、大人バレエで「限界」を感じている人は、目的のすり替えをしていないか、一度、素直になってみましょう。
目的は「バレエ」にすることです。
もし、意地になってしまっているのなら、こんなことを思い出してください。
体の大きな大人が、幼児サイズのシャツを着ることができますか?
体の大きな大人が、子供サイズのシャツを着たらどう感じますか?
例え、着ることができたとしても、あなたはとてもきつく感じるでしょう。
動きにくいし、息苦しい。
そして、周りの人からは滑稽に見えることでしょう。
それを「良い」と言うのは、体の大きな大人が、幼児サイズのシャツを着ることが普通と思っている人だけです。
おかしいですよね?
自分も苦しいし、快適ではない。
他人からも滑稽にうつる。
バレエでも、同じ現象が起きています。
目的をすり替え、意地になっていると、自分も苦しいし、他人からは滑稽に見えます。
ここが、「大人バレエで勘違いしている人」と見える大きな原因です。
あなたに合った方法を取ることは、思っているよりもずっと快適なことなのです。
まとめ
「大人にとっての正しい」とは。
バレエの形式・様式に沿ったもの、バレエとして見えるものを体現するために方法を工夫する。
大人の体に適切な方法を取ること。
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