バレエを整理する〜絶対と常識〜

「バレエを整理する」タイトル

バレエという旅に出かけよう。
パスポートを持って
異なる文化や常識に触れるのだ。

 

私は、プログラムで「整理しましょう」という言葉を、意識的に使うようにしている。

手持ちのアイテムをフル活用しよう、という意図が込められている。

 

新たにアイテムを取り入れる必要があるものもあるが、既にアイテムを持っている場合「アイテム取得」の時間を、大幅に削減して、活用することができる。

時間の短縮になるし、元々、持っていたものを活かすので、労力を減らすこともできる。

だから「整理」なのだ。

自信を持って、アイテムを活用しよう、というワケだ。

 

 

なぜ、整理する必要があるのだろう。

こんな番組、あなたも観たことがあるのではないだろうか。

 

クローゼットには、山ほどの服やバッグが乱雑に置かれている。

もはや、どんな服があるのか、当人も忘れてしまっている。
(贅沢な話だなあ)

 

乱雑になってしまう理由は、推測するに2つ。

 

1つは、整理整頓の仕方が分かっていない。

「収納術」なんて言葉があるくらいだ。

ここで悩む人は、きっと多いに違いない。

 

とはいえ、こうした時に、同じパターンの行動を求められる。

いらないもの、着ないものは処分する。

この「処分」で結構、迷うわけだ。

何を残し、何を処分したらよいのかがわからない。

 

それはきっと、「自分に似合うものがわからない」ことと「自分の生活スタイルに合うものがわからない」ことと「頻繁には必要じゃないけど、ここぞという時に必要なものがわからない」という、「3わからない」に由来しているのだと思う。

これが、2つ目の理由である。

ここが「わからない」から、そもそも「整理」が出来ない。

 

 

バレエの整理、これも定着してほしいことの1つである。

整理ができていないと「混乱」する。

頭が混乱すれば、体も混乱する。

だから、座学というのは有効なのだ。

 

 

私は、バレエそのものを、大きく2つに整理している。

今日は、私の「整理術」にお付き合いいただきたい。

 

 

まずは、インテリジェンス。

先に行っておくが、インテリジェンスと雑学を一緒にすべきではない。

世の中の人は「バレエの雑学」が好きなようだが、踊るために必要なのは「インテリジェンス」である。
(はっきり言って、雑学は害になることの方が多い)

 

インテリジェンスとは、

・バレエとして絶対的に知っておくべきこと

・守るべきルール

のことである。

 

海外旅行に行く時の「パスポート」のようなものだ。

これは「信用」にも通づる。

 

インテリジェンスを習う機会というのは、実は、極度に少ない。

私自身、国内外問わず指導を受けた教師の中で、インテリジェンスを叩き込んでくれたと、今思えるのは、たった1人である。

当時は「厳しいし、キツイし、楽しくもないし」、いつも、この先生から逃げ出したいと思っていたが、今思えば、非常に貴重な経験をさせてもらえたし、だからこそ、やってこれたのだと感謝している。

 

 

次に、コモンセンス。

常識である。

常識は、環境によって異なる。

「時間の経過」ということもあるだろうし、「土地」によっても違う。

日本では常識でも、海外旅行先では非常識、なんてことだってある。

 

つまりだ、バレエでいうコモンセンスとは、メソッドやスタイル、個々の特性を活かすこと、作品や踊りに対応すること、である。

メソッドは、インテリジェンスではない。

 

あのメソッドではAが正しい、けれど、このメソッドではBが正しい、なーんてことは、日常茶飯事なのだから。

つまり、バレエとしての「絶対」ではない。

メソッドやスタイルから「抽出されたインテリジェンス」というものはあるけれど、メソッドやスタイルそのものは、インテリジェンスではなく、コモンセンスである。

 

インテリジェンスがパスポートだとすれば、コモンセンスは「旅先」である。

 

 

おまけとして、「雑学」。

雑学が、コモンセンスになる可能性も否定はしないが、皆さんは、「噂話のようなもの」と解釈するのが、わかりやすいかと思う。

○○らしいよ

○○っぽいんだよね

バレエ教室でも耳にしないだろうか。

動画を見て、この時こうしたらいいらしいんだよねー、という言葉。

出典元は不明だし、エビデンスもはっきりしない。

なぜ、よいのかはわからないけど、いいらしい。

「らしい」。

雑学は、この辺りにしておこう。

あまり、長々としたくない。

 

 

1つ、注意点を述べるのであれば「コモンセンス」の種類、である。

私が今、言っている、あるいは、プログラムで伝えている「コモンセンス」とは、あくまで

「メソッドやスタイル、個々の特性を活かすこと、作品や踊りに対応すること」である。

 

とあるお教室での常識として行われている「バレエ」(注意点、方法など)や、とある教師の常識として行われている「バレエ」(注意点、方法など)、これも「コモンセンス」には属するが、これを言っているのではない。

 

もし私が、「私という教師にしか通用しないバレエ、バレエの方法」を皆さんに伝えたとする。

これは、もはや「バレエ」と名はついてはいるものの「バレエ」ではない。

 

パスポートを持ち、海外旅行に行こうとしているのに、「架空の国」に行こうとしているようなものだ。

ちょっと恐ろしいのは、「架空の国的コモンセンス」も、集合体が大きくなると、架空なのに、まるで現実にある国のように「錯覚」を起こしてしまいがちだということ。

うっかりしていたら、ジョージ・オーウェルやトマス・モアの世界になりかねる、ということだ。

 

 

話が長くなった。

インテリジェンスとコモンセンス。

この2つの特性を比較したいと思う。

 

インテリジェンスが「絶対」というと、なぜか、「完璧なインテリジェンスを身につけてから、コモンセンス」という発想をしがちだが、これこそが「落とし穴」だ。

 

レッスンを一生懸命している、エクササイズなども取り入れて、情報も取り入れている。

だが、何をやってもうまくいかない。

 

心当たりがある場合は、この「落とし穴」に落ちていないだろうか。

もし、心当たりがあるのならば、穴から這い上がることはできる。

本当に穴に落ちている人は、心当たりがないのだから。

 

 

インテリジェンスは「絶対」である。

しつこいが、それが「事実」である。

 

やるかやらないかは別として、「知っておくべきこと」。

やらないにしても「出来るけど、今はやらない」であるべきこと。

出来るに越したことはないが、知っておくことが重要だ。

 

知っておくことが重要な理由は、こうだ。

 

インテリジェンスを知っているし、やろうと努力している。

しかし、どうしても難しい。

そういう場合に、コモンセンスで代用することが可能なこともある。

 

ただし、「代用」ということを知っていないと、オーウェルの世界になる可能性がある。

だから、知っておくことが重要なのだ。

バレエのルールから逸脱しないために、バレエという信用を継続するために。

 

 

ちょっと、例えが悪くて申し訳ないのだが、よい意味での例えとして捉えて欲しい。

あなたの周りの人を観察してみるといい。

 

性格が良く、常識がある。

これは、人から好かれるタイプであることは、疑う余地もない。

一方で、こんな人もいないだろうか。

 

なーんか引っかかるんだけど、多分、お人柄はいいんだと思う…

 

「…」に全てが込められている。

いい人っぽいけど、「とっても優しい人なの!」とか「とっても面白い人なの!」と、一言ではいえないタイプ。

 

私が思うに、このタイプ「お人柄が良い」わけではない。

ちょっと、捻くれたところがあったりする。

だけど、「常識」を押さえているから、うまくやっていける。

 

これを読み終わったら、ちょっと、観察してみたらいい。

なんだか、感じが悪い例えになってしまったが、常識でカバーすることはできる。

これは、良い「代用方法」だ。

(ただし、インテリジェンスがあまりになく、コモンセンスでのカバー量が多くなると、必ず「バレる」日は来る。
そう、この後、あなたが発見する「あの人」のようにね)

 

 

もう1つは、バリエーションとしての意味である。
(バレエのバリエーションという意味ではない)

 

あなたは、今日何を食べるだろう。

昨日、何を食べただろう。

1ヶ月、何を食べただろう。

 

いろんなメニューが出てくるだろう。

ご飯に味噌汁、パンにヨーグルト、パスタやピザ、そばにうどんに、ケーキやら。

この「バリエーション」が、食べる「楽しみ」の1つなのではないだろうか。

 

いくらケーキが好きだからと言って、一日3食、365日食べ続けるなんて、たまったもんじゃない。

 

この「バリエーション」がコモンセンスである。

つまり、「旅先での異なる文化や習慣、常識」といったところ。

こうしたことに触れる楽しみというのは、大人ならではである。

 

 

私は「インテリジェンス」を伝えることは、非常に重視している。

あまりにも、習う機会がなく、インテリジェンスが欠けている(知らない)が故に、つまづいていることが、圧倒的に多いからだ。

 

そもそも、インテリジェンスがない「バレエ」は、「バレエ」ではない。

「バレエっぽいもの」である。

みる人がみれば、すぐバレる。

だから「あなた、何年やってるの?」なんて言葉が出てくるのだ。
(これは、大人の話ではない。子供もプロも、言われる人は言われる)

 

長年、レッスンをしているうちに、「偶然」インテリジェンスを習うことは、あるかもしれない。

習う側も、教える側も確信的ではなく、ほぼ「まぐれ」で。

これは、恐ろしいくらい効率が悪い。

 

効率というと、「私は時間をかけてゆったりやるわ!」という、頭の中が「お花畑」な言葉を言われそうだが、時間を欠けた分、余計な癖・余計な運動連鎖・余計な習慣がつく。

それを解除するには、多くの時間を要する。

場合によっては、解除できないこともある。

 

大人の場合、時間をかけてじっくりやった方がいいことなんて、ほぼない。

「いかに、早く手をつけるか」これが全てと言っていい。

成長できる人は、行動が早い。

 

JBPでバレエを知りたいから来る。

スケジュールの関係で無理な場合は、オンラインテキストでできることをやる。

申し込みも早い傾向がある。

行動が早いのだ。

 

即、実行できる人は伸び方が違う。

明日から、今度から、こうなったら・ああなったら。

のんびりのんびりしていると、いつの間にか、「のんびり」ではなく「ただ、ボーッとしている人」になってしまう。

 

話が外れた。

こうした理由もあって、偶然の産物ではなく、「THE インテリジェンスです」というものを、伝えたいと思って、プログラムを組んでいる。

偶然なんて、いつ起こるのかわからないのだから、確実に仕止めて欲しいのである。

 

 

一方で、レッスン形態のものでは「コモンセンス」も提案する。

 

「私って、なんて素晴らしいの!」と思えるほど、自信があるのであれば、インテリジェンスだけでもいいのかもしれないが、非常につまらない踊りにはなるだろうし、大体、インテリジェンスだけで踊っているダンサーなんていない。

 

同じものでも、いくつかの方法を提案する。

1つのプログラムに詰めることもあれば、いくつかに振り分けて、何回かに分けることもある。

やってみて、自分に適したものを、似合うものを「選択する」、自分の体や技術が変わったから、それに合わせて「選択する」、これが可能なのがコモンセンスなのだ。

 

 

日本では、統一採用されているメソッドはなく、この点を指摘する人がいる。

これは、一理あるとは思う。

 

メソッドというマニュアルを採用することで、一定ラインより低い指導にはならないだろうし、それによって受ける恩恵もあるだろう。

「一定ラインより低い指導にならない」

これがミソだ。

 

マニュアルがあると、そのマニュアルに適さなかった生徒は、どうなるのか。

大人の皆さんなら、想像できるのではないだろうか。

ちなみに、メソッド通りにやるのであれば、大人から始めた人は、全員適していないことにはなる。

 

そして、逆のことを言うと、ずば抜けた生徒は生まれにくい可能性がある。

マニュアル内での指導になるのだからだ。

機械的に指導できる反面、そういうリスクがあるのも現実である。
(○○メソッドの先生と言っても、名教師と言われる教師は、メソッドやカリキュラムに完全に従っているわけではないことがある)

 

 

私が、大人にオススメするのはこうだ。

 

インテリジェンスを学ぶ。

できれば、できるようにはしたい。

だが、どうしても無理ならば「知っている」だけでも、全然違う。

 

プラス、多くの「コモンセンス」を試す、選択する。

できるだけ、ストックがあるに越したことがない。

今はこれがベターだと思っても、1年後は変わるかもしれない。

その時に、すぐにアイテムを採用できるようにしておくとスムーズだ。

 

コモンセンスは1つに絞らない。

大人と子供の違うところであり、楽しみでもある。

 

つまり、「バレエという旅行をする」ということである。