未来が見えるからこその異なる合図:バレエレッスンで

エッセイ

おニャーさんが感じたことを綴るエッセイ。

井戸端会議のように気楽にお読みください。

満席日程、続々!

9月ラストのワークショップ報告でもお伝えしたのですが、もう少しお話ししたいと思って、エッセイにします。

ある意味、教師視点と生徒さん視点の圧倒的違いになりますので、参考にしてみると良いのではないかと思います。

同じように

・ここができない

・ここができている

全く同じ2人がいるとしましょう。

それなのに先生は

・一方を良しとし

・一方をNGとする

もっとも、人間ですから“全く同じ“なんてことはあり得ないわけですが、比較しやすくするためにそう仮定します。

やっていること、形は同じ。

ちなみにここでは、先生自身、生徒さん自身の個人的な感情はないものとします。

答えを出す前に、もう少し、条件を限定しましょう。

・それぞれに対し、教師は全く同じ目線で見ているとする

・教師は、相手に対して個人的な感情を持っていないとする

・2人は同じ容姿、同じ態度だったとする

・教師は、生徒のことを考えているとする

・教師は、バレエ教師としての知識と指導力があるとする

これも、実際に全て当てはまるということはあり得ませんが、比較しやすくするための仮定とします。

ではもう一度。

同じことをしているのに、なぜ、教師の「アンサー」は違うのでしょう。

答え。

それは、「未来」が違うからです。

「今」は同じ

でも

「未来」は違います。

例えば、あなたが2人いたとしましょう。

「あなた」という2人は、新宿駅にいます。

けれども、何かが違います。

あなたAは、高崎行きのticketを持っています。

あなたBは、茅ヶ崎行きのticketを持っています。

行き先が違います。

今、「新宿駅」という同じ場所にいても、辿り着く場所は違います。

では、あなたは「高崎に行きたい」ということにしましょう。

あなたAは目的地「高崎」に辿り着くことができました。

ところが、あなたBは高崎とは全く違う「茅ヶ崎」に行ってしまいました。

何、当たり前のことを言ってるの?

と思うかもしれません。

ですが、これが実際の稽古で起きていることです。

・同じところができていないし

・同じところができている

なのに

・一方は、OK

・一方は、NG

これは、

・目的地行きのticket持っているのか

・目的地とは異なるticketを持っているのか

この「差」です。

バレエ教師がこうしたことをわかっていて

目の前の人間をしっかり観察した上で

OKとNOが出ているのであれば、それは、贔屓しているのではありません。

目的地行きのticketを持っているのであれば

そのまま、継続でいいのです。

問題は、目的地とは異なるticketを持っている場合です。

それが、短時間でなんとか改善できるならばいいのですが、体を動かすもの、なかなかそうは行きません。

・間違って辿り着いた先では、もう終電がなく、引き返すことができない。

・迂回ルートがない。

・電車が止まってしまい、復旧の目処が立たない。

こんなことがあった場合、戻るだけでも相当な労力と時間を費やします。

場合によっては、もう、戻ることもできなかもしれません。

目的地と異なるticketを持っている事に教師が気づいた時、全力で阻止しようとします。

そうしないと、こうしたことが起きるとわかっているからです。

ですが、それが本人に伝わるとは限りません。

贔屓と言われたり、冷たいだとか、言われることもあるかもしれません。

それでも、「もう戻れなくなることがないようにしたい」という思いがあるから、全力で引き留めるのです。

本人は、茅ヶ崎行きのticketを高崎行きのticketだと思っているし、そう見えているわけです。

それを「違う!そのticketでは、帰れなくなるかもしれないよ!!」と叫んでも、受け入れてもらえるものではないのです。

その場合、腕を掴んででも、引き止めなきゃならない場合もあります。

これが、ビジョンを持ってレッスンしている人と、そうでない人の差です。

または、同じことでも「方向性」が異なる例です。

もっというなら、「できなくても、やろうとすることが大事」の真相です。

例え今、高崎に辿りついていなくても、適切なticketを持ってれば、着実に高崎に近づくことができるのです。

その上で、私はきちんと認めたいと思います。

全ての教師がそういうわけではないということを。

「全ての教師が見抜いてて、生徒さんが理解していないんだ!」なんて言う気はありません。

見抜けない教師だってたくさんいます。

贔屓している教師だって、気分で進行している教師だって、います。

一方で、しっかり見抜き、指導している教師もいます。

その上で、私はきちんと認めたいと思います。

全ての生徒さんがそうしたことを理解しているわけではないということを。

先生に感情的に当たり散らしたり、気分で先生を勝手に判断する人も、いるということを。

もちろん、そうでない人もたくさんいます。

JBPには、感情的になるような受講者はいません。

いいえ、違います。

正しく言うならば、そうした人が来る場合はあります。

ですが、続きません。

思いやりを持っている人ばかりですから、そういうタイプにとっては居心地が悪いのでしょう。

だからこそ、全力で「成長」というワードを掲げることができるのです。

話を戻しましょう。

一見、同じような状態だったとしても、教師のジャッジが異なる場合、こうした事情があります。

目的地行きのticketなのか、そうでないのか。

そうでない場合、片道切符の場合だってありますから、強く言わなきゃならない場合もあります。

ただし、それは憎いだとか、嫌いだとか、そうした感情的なものなのではありません。

あなたの上達と安全を願うからこそ、なのです。

全てとは言いませんが、そうした事情があることを知っておくと、あなたの中で、何かに気付けるかもしれません。

お読みいただき、ありがとうございました♫

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