“楽しけりゃいい“が“上手くなりたい“に変わる日

エッセイ

おニャーさんが思ったこと、感じたことを綴るエッセイ。

井戸端会議のつもりでお読みください。


もう、ずいぶん前になります。

「ここに教えに行ってほしい」と言われた先でのこと。

ここで担当していたのは、ジュニアのクラス。

とはいえ、ここに関しては子供だけでなく、大人も一緒なんです。

あなたにも知って欲しいと思ったので、エッセイとして綴ります。

初日、オーナー先生にいきなり言われました。

「うちはみんな趣味でやっていて、あまり難しいことをやっていないし、それでお願いします」と。

こうも言われました。

「うちは、上手になるっていうより、楽しくやっているから」

大人でも多いです、この発想。

そのクラス。蓋を開けてみたら、運動量(動く量)が圧倒的に足りない。

回転にしても、ジャンプにしても、脚を上げることにしても、目一杯動いていない。

そんなもんだから、体力もないし、隙あらば休もうとしてしまう。

そんな様子を見た私は、いろいろ考えた挙句に決めたことがあります。

ここは、私のスタジオではない以上、オーナー先生の意向は組まねばならない。

その上で、現状継続ではなく、本人たち(生徒)ですら、気づかないようにして先に進めよう、と。

長くなるので詳しくは省略しますが、「慣れてきたな」という隙(?)をついて、テクニカルなことをどんどんやらせます。

何回でもやらせます。

すると、今までほとんどやってなかったような事でも、慣れてきて動けるようになってきます。

体力、スタミナもついてきて、余裕が出てきます。

このプラスのスパイラルができると、急激に変わります。

「上手になりたい、できるようになりたい」

あれだけ「楽しければいい、のんびりやりたい。趣味だし、プロになるわけじゃないし」と思っていた子供たちの目の色が変わります。

ここまでくると、黙っていても勝手に上手になっていくのです。

目に見えてできることが増えていくと、父兄の反応も変わります。

「●月でやめます」と言っていた父兄が「うちの子、上手になったと思うんです!本人がやりたいっていうから続けさせます」と変わってくる。

すると、最後にオーナー先生が変わります。

「うちの子たち、上手になったわよね。どんどんやって」

「いやいや、当初の話と全く違いますよね?」と言いたくなりますが、これでいいんです。

結局、“楽しければ上手にならなくてもいい“というのは、上手になる手段を知らなかったり、そこまでがんばったことがなかったり、成功体験がないケースでの「言い訳」であることが多いんです。

上手になり出すと「楽しい」の意味が違ってきます。

上手になろうと、一生懸命練習すること自体が楽しくなるのです。

今回は、実際にジュニアを担当したバレエ教室であった出来事をお話ししましたが、大人の方には、もっともっと当てはまることです。

実際には、大人の方が圧倒的にこの傾向が高いですから。

「楽しければいい、疲れているからあまり厳しいレッスンはイヤ、体力的にキツイのも避けたい、楽しいと思える範疇でやりたい」

最初にそう思う人でも、上手になりかけると一気に変わります。

楽しけりゃいいという場合、「練習するのが楽しい」まで辿り着いていないだけかもしれません。

ジュニアのクラスでは、教育の一環として、こうしたことは一定程度取り組みます。

良いスパイラルに入る前にやめてしまう子も、ほとんどいません。

一方で、大人の場合は、1回で来なくなることの方が多い。

いやだ、辛い。そう思ったら次は行かない、辞める。

ここが、指導者として難しさを感じるところです。(お月謝制だと違うのかもしれませんが)

続かなかったら、それで終わりですから。

楽しければいい。

楽しいの意味は、あなたがどこにいるかで変わってくるものです。

お読みいただき、ありがとうございました♪

参考:アンディオールをレベルアップ!

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