おニャーさんが感じたことを自由に綴るエッセイ。
今日は、指導の現場でも、ずっと疑問に思っていたことについて、井戸端会議をしたいと思います。
JBPの先生方と打ち合わせをしていた時のこと。
話の流れでとある先生がおっしゃった「こういうことが謙虚っていうんだと思うよ」の一言。
ちょっと、ハッとするものがありました。
謙虚。
調べてみると[自分を偉いとも思わず、素直に学ぶ気持ちがあること]なんだそうです。
前者はともかくとしても、後者は違う意味で非常に難しいな、と感じることが多くあります。
本人としては、素直に学んでいる気ではいる。
ただ、本人以外の第三者の目には「傲慢、怠慢、悪い意味で頑固、人の意見を受け入れない」と感じてしまうケースもあるからです。
これは、バレエレッスンの場だけでなく、職場でも同じことが起きているかもしれません。
同じバレエ教師の間でも「いい人そうにみえるんだけど、こっちの話を全然受け入れてくれないんだよね」なんて話が出たものです。
丁寧な言葉、美しい言葉を活用するのは素晴らしいことです。
その上で、丁寧で美しい言葉を使うことと、謙虚であることは、イコールではありません。
ここ、勘違いしやすいポイントです。
特に、大人の場合。
もちろん、乱暴な言葉より、丁寧な方がいいのは事実なんですけどね。
私も、ずっと悩んでいたことがあります。
一見、話を聞いてくれているように見える。
誰が見ても、いい人そうに見えるだろうし、謙虚そうには見える。
けれども、人の意見を受け入れているようには思えない。
私が捻くれた目で見ているのかもしれない。
良いところを見逃しているのかもしれない。
とはいえ、継続してやっている様子はない。
かといって、反抗的な態度を取られるわけではない。
やはり、私自身の問題なのだろうか…
こんな悩みを抱えたことは1度や2度ではありません。
そして、毎回、その結果は決まっています。
あまりに、毎回同じなので、自分でも、そろそろ学ばないととは思っています。
毎回起きる同じ結果とは。
悩んだ挙句、先輩教師や同じ人が通っているクラスの先生などに相談すると
「ああ、あの人?出禁だよ。あなた、どうしてそうしないの?」
「いい人じゃないでしょ、傲慢そのものじゃない」
「どう見たって問題児じゃん」
といった内容のことを言われること。
同じような言葉を言われるたびに「ああ、またか。また同じことをしてしまっているんだな」と思います。
「人を見る目がないんだろうな」とも思います。
私にとって難しいのは、いかにも問題がある人ではありません。
そうではなく、ごくごく表面だけ、挨拶程度にすれ違う程度なら「いい人」に見えるタイプで内心、人を全く受け入れないタイプの方がよほど難しいのです。
「一見、いい人そうに見える問題」は、長年の疑問でもありました。
表面だけ見れば、謙虚そうに見える。
が、実はそうではない。
では、一体何を持って謙虚だと言えるのか。
そんな疑問を、一掃してくれたのが冒頭の先生の言葉でした。
人の話を感じ良く聞いてるだけじゃ
謙虚とは言えない。
自分が間違っているのではないかと、疑えること。
自分がそうではないかと、疑えること。
つまり、客観的に自分を見ようとすること。
それが「謙虚」ってことだよ。
例えば、全体に対して「右足を出して」と先生が指示をした時、うんうんと頷いて、左足を出したままの人っています。
本人からすれば、「右足だと思って左足を出していた」ということなのでしょう。
そうではないのです。
先生が「右足」と言った時、自分で右足を出しているつもりでも「もしかしたら、間違っているのかも」と思って確認をすべきなのです。
そして、その確認によって気づき、直すのです。
気づかなかった、わからなかったではないのです。
これまで私は「気づけないならしょうがない」と思っていました。
この場合の気づかない、わからなかったというケース。
先生が注意事項として発していることに対し「自分は“間違いない“と判断していた」ということなのです。
ちっとも、謙虚なんかじゃないのです。
無意識であったとしても。
この辺り、この先生の発言によってやっと、ロジカルに理解できました。
そして、割り切るボーダーラインが見えてきたように思います。
人間に関しては、まだまだ知らないことがたくさん。
学ぶべきことは山のようにあります。
今後も、バレエ指導に活かしていきたいと思っています。
スケジュール バレエワークショップの申し込み方 【はじめての人は必ず読みましょう】ワークショップに参加する前に確認することお読みいただき、ありがとうございました♪